サンスクリット本「般若心経」における「iha」の意味

サンスクリット本では、観音菩薩が色即是空の件を語る箇所の冒頭は「iha Sariputra rupam sunyata sunyataiva rupam.」であり、シャリプトラ長老への呼びかけであるのだが、その名の前に「iha」という語があり「ここで(は)」という語意のようである。

玄奘の漢訳にはこの語に対応する語は見出せない。中村元先生と岩本裕先生の現代語訳は双方とも、「iha=ここでは」→「この世においては」との意訳が選択されている。しかし、あえて両先生の解から離れて述べることになるが、我々は、この「iha=ここでは」という語はまさに「観音菩薩にして見れるその位置」を明瞭とする趣旨で置かれているのではないか、と推測する。

すなわち、観音菩薩は「シャリプトラよ、私が事を見極めたこの位置から見るならば(その 視点を得たならば)・・・」との前提を置いてから、それ以後の「色即是空 空即是色・・・」の定義を述べているのではないか、との解釈の可能性を主張するのである。この解釈の方が「八千頌般若経」から読み解ける元来の空論理の設定により合致していると判断する。

逆に言えば、「色即是空 空即是色」が見極められるその位置こそが「さとりの位置」であり通常の視点においては成立しないもの、との規定を、この iha という語の挿入によって経は成していることにもなる。そして、そのように規定し記述したはずの「さとりの位置」でありながら、それは「得ることができない」との、より高位の規定を加えるのが「般若経典」の本質である。この特殊な論理は「八千頌 般若経」に厳密に刻まれている。

[2010-06-24]